「あなたのいいとこまんじゅうはどこですか?」/2020-2021

 

 陶淵明の『桃花源記』の中で、男は桃の林に囲まれた村に二度と行くことはできませんでした。彼だけではなく、役人も、賢人も、その動機に関わらず誰もたどり着くことはできません。ここで描かれている村(桃源郷と呼ばれる)は、人の心の内にある理想的な存在を具象化したものとされています。理想的な社会に対して積極的な態度を見せるユートピア思想とは対照的に、桃源郷はその実現を諦めることを前提としていて、あくまで心の中にのみ存在するイメージとしての理想郷であることを示しています。

 私が生まれ育った静岡に「いいとこまんじゅう」という言葉があります。行き先や場所を曖昧にする時に使われ、「良い場所」と「秘密の場所」という2つの意味を含んでいます。私が子供の頃に父からよく言われた言葉なので、大人が秘密にする場所に対する羨望のような気持ちが追加されているようにも思います。一方で、冗談めかした返しや適当にはぐらかす時に使われることも多く、必ずしも良い場所とは限りません。たまについて行くと、行き先は近所のスーパーや親戚の家等で、想像とのギャップにがっかりすることばかりでした。現実には存在し得ない場所や風景は、時に実在のそれよりも力を持つものだと思います。確かに存在しているけれど決してたどり着けない「私の心の中のいいとこまんじゅう」は、桃源郷のイメージと重なります。

 そこで私は「いいとこまんじゅうは桃源郷である」という仮説をたてました。どちらも人の心の中にあり、イメージを完全に共有することは困難です。『桃花源記』を足がかりに、「いいとこまんじゅう」という言葉を解釈してもらい、それぞれにとってのいいとこまんじゅうに近いと思う場所を紹介してもらうことにしました。陶淵明が実現しない理想を桃源郷として詩的に具象化したように、特定の場所の情報を排除しながらいいとこまんじゅうそのものを具象化することを試みました。

 【いいとこまんじゅう - 001

(いいとこまんじゅう)には魚がたくさんいるから好きだ。(いいとこまんじゅう)は日本中にたくさんあるけれど、その中でもグレードがあると思う。また、市場や店先の生け簀も広い意味では同じだと思う。わたしは魚が好きだ。動物、特に猫・牛・梟・猿等も好きだ。猿については大きなものではなく、映画ナイトミュージアムに出てくるような小さくて尻尾の長い種類のみである。動物と遊ぶのは好きだが、人間とはあまり遊ばない。わたしは家でもいつか魚を飼いたいと思っている。魚はいろんな種類のものが5匹以上いなくてはならない。5匹以上の魚が遊んでいるところが見たい。1匹だと寂しい。種類はじっくり検討しなくてはいけないが、色がきれいな熱帯魚は候補に挙がっている。また、よく底の方に這いつくばっている小さなエビのような生き物も必要だ。水槽はある程度の大きさのものになるだろう。わたしが作りたいと思っている完璧な水槽の中の世界は、すなわち(いいとこまんじゅう)なのかもしれない。川や海といった自然の環境よりも、(いいとこまんじゅう)の方が良い。なぜなら、自分の置かれた環境も、魚たちの置かれた環境も、どちらも安全で快適であることが大前提だからだ。わたしは、好きなものたちの生活を覗き見ることによろこびを感じる。この時、好きなものたちはみんな楽しそうにしていて欲しいと思う。また、自分が覗くことに集中できる環境も必要不可欠である。

 

2021年10月31日(日)〜11月21日(日) 「紀の国トレイナート2021」に出品しています。

和歌山県田辺市にゆかりのある方々にこっそり教えてもらった10のいいとこまんじゅうへの旅を記録しました。